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総合歴史学科授業・課外研修など

実に就くプロジェクト2023 進行中です!(2)

2024-01-29

 総合歴史学科では、中区役所の企画「大学との連携による中区の魅力・課題抽出事業」との協同で「実に就くプロジェクト(史跡観光マップの作成)」を展開しています。第1回(2023年11月18日実施)に引き続き、今回も中区役所内の史跡をめぐるバスツアーを開催しました。学生の参加は7名、引率教員は1名(苅米一志教授)でした。

 12:50に本学薬学部前駐車場に集合し、13:00出発、バスは百間川沿いを南下し、沖田神社(中区沖元)に向かいます。ここで、区役所の職員の方から、神社の歴史と沿革についての説明をうかがいました。

 沖田神社は、17世紀末期の岡山藩による干拓事業の際に人柱となった「おきた」という女性をまつったものと伝えられ、干拓地の村々の産土神(うぶすながみ)となっています。なお、本学の学長であった故・柴田一氏(名誉教授)には論文「備前国上道郡沖新田と人柱伝説」(『吉備地方文化研究』21号、2011年)があり、それによると「おきた」なる女性は、干拓事業の総指揮をとった津田永忠(岡山藩士)に仕えた女性で、みずからの命を水の神に捧げることで、干拓事業の成功を祈ったものとされています。

 ここから、岡山市街を見下ろす玉井宮東照宮に向かいます。もとは玉井宮単独でしたが、17世紀中期に池田光政によりこの地に東照宮が勧請されると、玉井宮は南方に移動し、さらに明治時代になって両宮が合祀されて現在に至っています。ここでは宮司さんの詳しい説明を聞くことができ、また興味深い文化財(石造物、本殿の建築など)も示して頂きました。

 最後に、同じ操山山系に属する安住院に向かいます。正式には瓶井(みかい)山禅光寺安住院といい、少なくとも室町時代には存在していた寺院です。かつては、玉井宮と一体のもので、神仏習合の関係にあったと考えられます。経蔵には貴重な文化財も多く、近年では大阪大学の研究プロジェクト(寺院文献資料学の新展開)がその調査を行っています。仁王門は室町時代の建築、また17世紀末期に造立された多宝塔には、後楽園から眺めた際の借景の意義もあったようです。

 いずれも17世紀の岡山藩と深い関係を有し、藩の全盛期の到来を告げる史跡でもあったことが理解できました。帰りのバスの中では、区役所の職員の方からツアーの感想が求められ、参加学生は積極的に応じていました。

 バスツアーの成果に基づき、プロジェクトはこれから史跡マップの作成を進めていきます。

(文責:苅米)