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教育学専攻発表会

2021春 修士論文中間発表会(修士1年)を振り返って

2021-02-15

教育学研究科教育学専攻修士論文中間発表会が2月3日に開催されました。

修士課程1年生がポスター形式による発表を行いました(教育臨床心理学コース2名)。

 

また、翌2月4日には修士論文審査会が行われ、修士課程2年生が口頭発表を行いました。(記事はこちらです)

 

教育学研究科では,2年間の限られた期間で, 専門職としての訓練と並行して,高度な研究能力を身につけるための凝縮した教育を行っています。研究推進の節目となる発表会では,高度なディスカッションが重要であるため,限定したメンバーの会場参加と,資料へのコメントを個別にいただく資料参加の形で開催しました。

 

今回は、修士1年生2名と教員1名とのオンライン鼎談形式で報告します。

 

Hさん:教育臨床心理学コース 修士1年 就実大学教育学部教育心理学科卒業

Tさん:教育臨床心理学コース 修士1年 他大学芸術系学科卒業

Y先生:教育臨床心理学コース

 

Y先生:中間発表会、お疲れ様でした。数日経って振り返ってみると、どんな体験でしたか? 

 

Hさん:緊張しましたが、自分がやってきたことを信じて発表しました。5分間という短い時間と、作成した資料でどれほど伝わったのかは分かりません。しかし、個別の質疑応答では先生方が読み込んで質問を考えてきて下さったのを感じました。それに応えようと、自分の意見を伝える中で、新しい発見やこれまで自分になかった知見が得られたと思います。

 

Tさん:少し緊張しましたが、発表中は話すことに夢中でした。質疑応答の時間も、質問の意図を理解し答えることに精一杯で、あっという間に終わった感覚です。

 

Y先生:確かに、研究発表は何回やっても緊張しますね。では、それぞれどんな発表をしたのか、臨床心理学をまだ勉強していない人にもその面白さが伝わるように、教えてもらえますか?

 

Tさん:私の大きなテーマは「不登校」です。不登校当事者である子どもをとりまく人間関係、とりわけ「親と担任」に着目して研究を行っています。親と担任の関わりや連携が、子どもの不登校状態に影響を与えるのでは?と考え、調査をしています。

 

Hさん:私は「感覚処理感受性とストレス」をテーマに研究をしています。他の人が気にならないような音を気にしてしまってイライラしたり、服を選ぶときにデザインより先にこの生地は駄目というような感覚を感じたりしたことはありませんか?感覚処理感受性が高いと、他の人より刺激を深く処理してしまうので、イライラしたり不快な感覚になったりするのです。そうなると、とてもストレスを感じますよね。こういったストレスの元となる刺激のことをストレッサーと呼ぶのですが、日々感じるストレッサーに全て反応しているわけではないはずです。私は、「ストレッサーをストレス反応として捉える過程」に「感覚処理感受性」がどのように影響しているのだろうと疑問に思い、このテーマを選びました。

 

Y先生:どちらも興味深いテーマですね!…でも、高校生や学部生からみると、面白そうだけど難しそうで、「卒論」でも大変そうなのに、大学院ではさらに難しいことをやらないといけないのか、質疑応答なんてできるかな、と、とても遠くの出来事に感じるかもしれません…どうしたらいいかな?何か、未来の後輩さんたちが、自分にもできる!と思えるようなエピソードやメッセージをお願いします。

 

Hさん:私も、卒論でさえテーマをなかなか決められなくて、論文なんて自分には書けないのでは…と悩みました。論文の読み方も分からず、読む気力すらありませんでした。研究指導教員の先生に、「自分の興味あること、知りたいことについての論文の要旨をまずは読んでみたら?」というアドバイスをいただき、一歩ずつ進んできた結果、今に至っています。色々と指摘されることは確かに不安で怖いとも思うのですが、それを乗り越えてみると自分が成長したという実感を得られるのは確かです。逆に言うと、こんなにも自分のことを手厚くサポートしていただけるのは今しかないと思っています。なので、恐れず今の自分にできることをしていけばいいと思います。

 

Tさん:私は今でも、「修論」なんて自分に書けるのかという不安を抱えています。でも、大学院受験前に研究テーマを考えていた時の「私はこれが知りたいんだ!」という想いを忘れずにいることで、今も頑張ることができているんだと思います。ご指摘をいただくと、正直へこたれそうにもなるんですけど。考えが足りないことに直面し、うまく伝わないことに苦戦しながらも、研究の魅力や面白みを再発見させてもらえるので、周りの人と自分の研究について話す時間は、本当に有意義だなと感じています。

 

Y先生:なるほど。学部時代から着実に努力を続けているように見えるHさんにも「読む気力がない」時があったんですね。たしかTさんの出身大学では卒論提出が必修ではなかったんですよね。いきなり修論に取り組むというのはちょっと大きな挑戦なのではないかと思いますが、どうですか?

 

Tさん: 確かにチャレンジですね(笑)これが人生最初の論文と思うと、気合いが入ります。私は学部時代にはアートで表現することを学んでいたので、論文は文章だけで表現しなければならないということに窮屈さを感じることもありますが、構成や伝え方について、しっかりと勉強できる良い機会でもあります。

 

Y先生:読んでいて、二人とも研究の「苦しさ」だけでなく「意義」をしっかり自分のものにしているんだなあと感心し、安心もしました。では、また後輩さんの目線からの質問になりますが、「私はカウンセラーになりたいだけで、研究者になりたいわけじゃないのに、どうして修論を書かないといけないの?どうしてカウンセリングのトレーニングだけじゃなくて研究が必要なの?」という疑問をもっている人もいるかと思います。難問かもしれませんが、自分なりに実感できることとして答えられることはありますか? 

 

Hさん:ちょっと長いですが、自分なりの考えを書いてみますね。

カウンセリングを求めて来られる方に対して、もし全員同じ方法で活かせる知識や経験があるなら、それで済むかもしれません。でも、実際に来られる方は、似ている部分はあるとしても同じではないんですよね。それを私は大学院で勉強して実感しました。たとえば、身体の治療なら「インフルエンザですね、お薬処方しておきます」という風に決まった対応があると思うんです。では心理療法ではどうかというと、うつ病と診断されたら全員同じ薬を出して終わりというわけではありません。薬の処方は医師がしますが、お薬の種類も人によって合う合わないがありますし、心理専門職が担当するカウンセリングにもいろいろな方法があり、その個人に合わせた対応が求められます。そのためには日々勉強は欠かせないですし、研究からヒントを得ることは有意義だと思います。そして、自分の経験を研究として還元していくことで、よりクライエントさんのためにも、心理専門職のためにもなると思っています。大学院生は研究者のたまごとも言われますから、研究の力をつけるためにも修士論文は全力で取り組みたいと思っています。

 

Tさん:研究の必要性について、私も大学院を目指し始めた頃はよくわかっていませんでした。でも、様々な論文や文献を読むことで多くの情報を得られることや自分自身の考えが深まることの大切さと面白みを実感しています。そして、自分自身も研究をして発表することで、そこから広がって、多くの人との共有や還元へとつながることが研究の意義でもあるのかなと、まだぼんやりとですが思っています。修論は研究する力や論文としてまとめるための基礎作りになるのかなと。

 

Y先生:ほほう。なんだか私が想像していた以上に、2人とも臨床と研究が自分の中でしっかりつながっていますね。修論はあくまで第一歩、その後も研究をしていくぞ!という気構えも感じられて、頼もしい限りです!

 

次の記事に続きます)