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吉備地方文化研究所シンポジウム

吉備地方文化研究所 シンポジウム「蘭学・洋学から近代の日本へ」を開催しました。

2024-02-06

 吉備地方文化研究所シンポジウム 人文知のトポスⅧ「蘭学・洋学から近代の日本へ」が、下記の要領で開催されました。

 

日時:2024年2月3日(土)13:00~

場所:本学S101教室(オンラインとのハイブリッド形式)

 

講師・演題

櫻田美津夫氏(本学名誉教授。オランダ史)

 「蘭学史の流れ ― 小さな原因、大きな結果?」 

阿曽 歩氏(フェリス女学院大学講師。日本近世史)

 「仙台藩の蘭学・洋学と日本の近代 ー大槻家を中心にー」 

小林亜沙美氏(本学人文科学部准教授。ヨーロッパ史)

 「箕作元八とドイツと日本の近代歴史学」

 

 基調講演として櫻田氏が、日本とオランダの関係の始まりと展開、同時代におけるオランダの社会状況、特に出版・印刷業の隆盛を説明されました。オランダ出版界がヨーロッパ各国の書物をオランダ語に翻訳し、その翻訳書が日本にもたらされたことで、当時の日本人がヨーロッパ地域全般の先進知識を吸収できたことが指摘されました。

 

 阿曽歩氏は、一関藩の建部清庵や、同藩出身でのち仙台藩士となった蘭学者大槻玄沢をはじめとした大槻家の人々の業績を紹介し、江戸時代の東北地方において蘭学が一つの潮流をなしていたことを説明されました。工藤平助や林子平といった人々も仙台藩に属していたことが紹介され、東北地方の蘭学にとって仙台が重要な地域であったことが理解できました。

 

 小林氏は、明治時代にドイツに渡り、実証主義歴史学を日本に移入した箕作元八の足跡を追い、さらに「中世史研究」がドイツと日本をつなぐ重要な概念となったことを解説されました。箕作家は津山藩の医家として知られますが、近代においてその一族から多くの学者を輩出したことも紹介されました。

 

 現在ではあまり意識されることはなくなりましたが、例えば化学用語の多くがオランダ語の訳語に由来するなど、蘭学の影響が重低音のように日本の文化・学術に影響を与えていたことが実感できました。

 

 質疑応答の時間では、「東北諸藩が蘭学を吸収できた素地は何か」「原勝郎(京都帝国大学の歴史学者)が日本中世史研究において史料にもとづく研究が難しいと判断したのはなぜか」「ドイツにおいて実証主義歴史学が発展したのはなぜか」といった質問が出され、講師からは丁寧な回答がありました。時間も17:00近くに及ぶほどで、非常に熱のある質疑になったと思います。

 

 ご担当くださった三先生には、深く御礼を申し上げます。

(写真は左上から順に、櫻田氏、阿曽氏、小林氏、会場の様子、シンポジウムの様子)