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人文科学専攻その他

コラム 授業のひとこま 第16回 「岡山には「見えない壁」がある?」

2024-01-30

コラム 授業のひとこま 第16回 「岡山には「見えない壁」がある?」
岩田美穂(人文科学研究科・人文科学部准教授 日本語史)

就実大学表現文化学科に就職して10年になります。着任したばかりのころ、とある学会で、とある方言学の先生に岡山に勤めることになったことを話したところ、「岡山と兵庫の間には見えない壁があるよね」と言われたことがあります。

先日、故あって『新日本言語地図』(朝倉書店)を調べていた時に、この「見えない壁」という言葉を思い出しました。「言語(方言)地図」とは、特定の項目について、各地でどのように言うかを調べ、その語形を記号にして地図上に置いたものです。日本の方言がどのように分布しているのかを俯瞰的にみることができる大変面白い資料です。私が調べていたのは、「雨が降れば船は出ないだろう」という例文の「降れば」という部分を取り上げたものです。このような文のことを(順接)仮定条件文といいます。仮定条件文は、共通語では「バ」「タラ」「ナラ」「ト」の4つの形式を細かく使い分けますが、関西では広く「タラ」を用いることで知られています(「雨が降ったら」)。この「タラ」が仮定条件文の形式となるのは江戸時代に入ってからなのですが、江戸時代の終わりから明治にかけて関西の中心部(京都、大阪)ではこの「タラ」の勢力が拡大し、仮定条件文は何でもタラでいけるという状態ができました。その後「タラ」の勢いは関西の周辺へと急速に拡大していき、『新日本言語地図』(2010年に70代に調査したもの)では東は北陸の一部、三重、愛知西部、西は兵庫から鳥取東部、四国のあたりまで広がっています(図参照。赤い線の記号が「タラ」の分布、緑の三角の記号は「バ(フリャー類)」の分布を表す)。ところが、この「タラ」の西方向への広がりは、どうやら岡山が阻んでいるようです(島嶼部を除く)。きれいに「壁」があります。「方言地図」を眺めていると、実は「タラ」の他にも岡山が関西方言と中国方言の境目になっているという事象は多く観察できるのです。

隣接する方言はお互いに「接触」による影響関係にあります。このような「接触」がある場合、二つの方言間において社会的な威信の強さによって影響を与える方言と与えられる方言ができます(この考え方の代表的なものが柳田國男による「方言周圏論」です)。西日本において関西方言は最も影響力のある方言です。隣接する地域は、ダイレクトに関西方言の影響を受けます。よって、関西の中心部でできた新しい語や表現は周辺部へと広がっていく――のですが、岡山はどうもそうはならないようです。なぜなのでしょうか。このように方言の分布の境目になるにはそれなりの理由があります。よくあるのは高い山や大きな川があり人の往来が妨げられる地理的障害です。しかし、岡山と兵庫の間にはそれほど大きな障害があるとは思えません。また、人の往来自体は(たぶん)活発だと思います。一方、四国に目をやると香川や徳島、愛媛などはかなり関西方言の影響を受けているように見受けられます。先ほどの「タラ」は四国には広がっているのです。(橋で繋がっているとはいえ)海に隔てられているにも関わらず、です。確かに、岡山と兵庫の間には「見えない壁」がありそうです。(タラの拡大には、関西方言の影響力のほかに「単純化」という動機も働いていると考えられます(日高2016・三井2019)が、その点は置いておきます。)

この「見えない壁」は方言研究においてもやはりよくわかってはいないようで、日高(2016)では「近畿中央部から西日本に向かう直接的なルートである兵庫県・岡山県の境界域においても、タラ類の西進は認められない。方言周圏論に従えば、「中央部」から発した言語現象は、時間とともに均等に周辺部に広がっていくように想定されるが、(中略)そのような「平坦な」ものではないことになる。ここでは、(中略)一帯が共通の言語文化圏になく、したがってそのことばに威信を感じることもなく(中略)それを積極的に受容する動機づけが生じないと考えておく。」(p.28)と述べられています。

地理的障害がないにもかかわらず岡山方言はなぜ関西方言の「共通の言語文化圏」に属さないのでしょうか。言語地図を見ながら改めて「見えない壁」という言葉を思い出したとき、ふと、岡山出身の大学時代の友人が昔、「大阪の電車のアナウンスは発音がおかしくって笑っちゃう」と言っていたことを思い出しました。岡山県は、細かな差異はありますが概ね東京式アクセント(の変化形)を使っています。関西で用いられている京阪式アクセントとはかなり異なります。四国出身で頑張って関西方言に馴染もうとしていた私は、関西方言を「おかしくって笑っちゃう」と言ってのけたその友人の発言に驚愕したのを覚えています。考えてみれば、岡山県(特に岡山市)の人に方言について尋ねると、「方言はあまり使わない」と答える方が意外と多くいらっしゃいます。私から見ると、バリバリに方言を使っている人であっても、です。もしかしたら、岡山はアクセントが東京式であることなども相まって、共通語意識がかなり強いのではないでしょうか。その強い共通語意識は、関西方言を「異なる言語」として対立させます。それゆえ、関西方言(の威信)を受け入れないのではないか――。あくまで主観的な感覚にすぎませんが、岡山における言語意識を調査してみれば、案外面白い結果がでるかもしれないと思っています。

図1 『新日本方言地図』p.191より一部抜粋。

参考文献
大西拓一郎(編)(2016)『新日本言語地図―分布図で見渡す方言の世界―』朝倉書店
日高水穂(2016)「「接触」による方言分布形成」大西拓一郎(編)『空間と時間の中の方言』pp.21-38. 朝倉書店
三井はるみ(2019)「条件表現の全国分布に見られる経年変化:予測的条件文の場合」『国語研究』82、pp.40-59. 国学院大学