就実大学 人文科学部 総合歴史学科

2024.02.29 

特別研修旅行(ドイツ)をおこないました。

授業・課外研修など

 2024年2月11日から2月22日まで「総合歴史演習2」の課外授業ということで、ドイツへの特別研修旅行をおこないました。ラテン語を学んだ「総合歴史演習2」を踏まえ、「アルプス以北に残る古代ローマ帝国の足跡を訪ねる」という目的でドイツを選びました。特別研修旅行には、授業履修の有無にかかわらず総合歴史学科生合計16名が参加しました。

 

2月11日から12日 ドイツへ

 11日に岡山駅で待ち合わせ、JRで関西国際空港まで行き、シンガポール経由でドイツ・フランクフルト空港へ向かいました。ドイツ時間の12日17時頃フランクフルトに到着しました。フランクフルトのユースホステルでこの日から3泊しました。

 

2月13日 ザールブルクへ

 フランクフルトから電車とバスで、ザールブルク博物館に行きました。ここは古代ローマ帝国の陣営がかつてあった場所で、古代ローマ帝国の建物(原物の跡や復元されたもの)や様々な考古学的史料が屋内外に展示されていました。博物館見学後はフランクフルトに戻り、学生たちは自由にフランクフルト観光をおこないました。神聖ローマ帝国の国王選挙が行われていた聖バルトロメウス教会などをはじめ、各自で探した名所・博物館へ足を運んでいました。

2月14日 マールブルクへ

 フランクフルトから電車で1時間半ほど離れたマールブルクへ行きました。マールブルクではまず国立古文書館へ赴き、アーキビストのSabine Fees氏から古文書館のバックヤードについての解説、中世初期から近現代までの間に作成され同古文書館に保管されている古文書について説明を受けました。午後は、マールブルクの旧市街の散策をおこないました。坂を上り訪れたヘッセン方伯城では、マルティン・ルターが宗教議論をおこなった部屋に入り見学しました。城見学後は旧市街地を散策しながら、中世のシナゴーグの土台や、エリザベート教会を見学し、電車でフランクフルトへ戻りました。

2月15日 コブレンツへ

 フランクフルトのユースホステルを出て、コブレンツへ電車で移動しました。コブレンツには昼頃到着しました。モーゼル川とライン川がぶつかる場所に立てられた皇帝ヴィルヘルム1世の像(ドイチェス・エック)へ歩いて向かい、その周辺の教会などを見学し、市内を全員で散策し、ホテルにチェックインしました。この日からコブレンツに3泊しました。チェックイン後は、学生はそれぞれ自由に美術館や博物館を訪問し、旧市街地を散策していました。

 

2月16日 トリアーへ

 コブレンツからトリアーへ向かいました。トリアーはかつての古代ローマ都市で、史跡が街中に沢山あります。街中を見学する前に、トリアー大学へ向かいました。大学の学食でお昼ご飯を食べ、トリアー大学教授で同大学のパピルス文書研究所所長のPatrick Rainald氏から古代ローマ時代のパピルス文書について、紀元前に作成された文書の原物を間近で見ながら説明を受けました。学生たちは真剣に話を聞き、質問を投げかけ、あっという間に時間は過ぎました。その後、全員で街中の史跡(ポルタ・ニグラ、皇帝浴場、コンスタンティヌス帝の宮殿、大聖堂など)巡りをしました。雨が降っていたのが少々残念でしたが、Rainald氏の説明に傾聴しながら、ここでも様々な質問を投げかけながら学生たちは史跡に関心を寄せているようでした。夕刻、コブレンツへ戻りました。

2月17日 ケルンへ

 コブレンツからケルンへ向かいました。ケルン駅前の大聖堂の壮大さに学生たちは驚きを隠せない模様でした。ですが私たちはとりあえず全員でローマ・ゲルマン博物館へ向かいました。ここにはケルン周辺で見つかった古代ローマ帝国時代に由来する石碑、胸像、日常生活道具、装身具等が数多く展示されています。この博物館を全員で2時間程見学した後、学生たちは自由にケルン観光をおこないました。ケルン大聖堂、色々な種類の美術館や博物館など、それぞれの興味関心に合わせて見学をしていました。

 ケルンからコブレンツへ戻る特急電車は40分遅れてきました。遅延が非常に多いと有名なドイツ鉄道にもかかわらず、私たちがこれまで使ってきた電車では運よく遅れがほとんど無かったので、「とうとう来たか」という感じでした。

2月18日 ミュンヘンへ

 この日はコブレンツから大都市ミュンヘンへ約6時間かけて移動しました。ミュンヘンには定刻に到着し、全員でユースホステルへと移動しました。夕方でしたが、一部はその後ミュンヘン市内の美術館見学を、一部はユースホステルの周辺の観光地への散策を、一部はユースホステルで旅の小休止をしていました。

2月19日 ザルツブルクへ

 ミュンヘンから電車で約2時間行ったところにあるザルツブルクへ向かいました。教皇と皇帝が争ったカノッサの屈辱があった1077年に教皇派の人間によって建てられたホーエンザルツブルク城のふもとまで登り下を眺め、モーツアルトの生家の前を歩き、大聖堂の前を歩き、カタコンベに入り・・・という程度の短時間の滞在でした。

 しかしザルツブルクはオーストリアです。つまり私たちはこの訪問によって「電車での国境越え」という日本では決してできないことを経験しました。ミュンヘンに戻る時には、国境の町で電車内にドイツの国境警備隊が入り、パスポート検査をしていました。しかし、私たちの番になり引率教員が「私たちは日本人の大学生グループです」と説明し、学生全員がパスポートの表紙を見せると「じゃぁ問題ない」と一言で処理され、私たちのパスポート検査は全くおこなわれませんでした。とはいえ、こういう場面に直面することで、日本人に対する海外での信頼を感じ、学生の中には、これまでに海外でよい印象を残してくれた日本の先人たちに対する感謝の気持ちを口にしている人もいました。

2月20日 ダッハウへ

 ミュンヘン近郊のダッハウという町にある、ナチス時代の強制収容所記念館を見学しました。記念館には当時使われていたバラック(収容者の寝室)が再現され、事務室の建物は博物館として改築され、収容者たちのプロフィールや収容時の日常などが展示されていました。収容所の隅には(最終的にはダッハウでは使われなかった)ガス室なども一部再建という形で残されており、別の収容所では殺戮目的で使用されていたガス室の様子を見て取ることができました。

 3時間ほどの見学を終え、ミュンヘン中心部まで戻り解散しました。最終日の午後、学生たちは美術館見学や博物館見学、歴史的建造物への訪問、そしてお土産購入などにいそしんでいました。

2月21日から22日 岡山へ

 ミュンヘンのユースホステルを朝早くに出発し、ミュンヘン空港に向かいました。直前まで空港の地上職員のストライキで、一時はどうなることかとハラハラしていました。しかし運よく全く問題はありませんでした。定刻通りの飛行機でシンガポール空港まで向かい、そこで、関西空港行の飛行機に乗り換え、22日15時頃関西国際空港に到着、その後、JRで岡山駅まで無事全員で帰宅しました。

 

 当初はお互いにそれほど会話をするような間柄には無かった学生たちも多くいました。しかし、現地では皆さんは徐々に距離を縮め、学年や性別は関係なくお互いに興味や関心や情報を交換し合い、協力し合いながら旅を楽しんでいました。この旅行のモットーは、いつも適度の不安と緊張を抱きながら、精一杯楽しむということでしたが、そのおかげで盗難など危険な目にも合うことなく過ごせました。外国史を現地で学ぶという、この旅行の根底にあった目的以外にも、とても多くの経験や発見、そして学生それぞれの自己発見なども果たせたのではないかと思います。

(文責:小林亜沙美)

戻る