就実大学 人文科学部 総合歴史学科

2016.12.30 

2016年のオープンキャンパス

オープンキャンパス

第4回オープンキャンパス:2016年8月21日(日)

 

2016年8月21日(日)、ことし最後のオープンキャンパスとなり、総合歴史学科では苅米一志教授による恒例の日本史ワークショップを開催しました。延べで高校生100名を超えるご来場があり、たくさん用意していた資料がまったく足りなくなり、学科のスタッフ一同嬉しい悲鳴を上げました。

 

今回は、3年生女子2名が総合歴史学科の特徴と魅力について全般的な説明をし、つづいて2年生女子1名が自身の学生生活についてくわしく話してくれました。

 

第3回オープンキャンパス【2日目】:2016年7月17日(日)

 

2016年7月17日(日)のオープンキャンパスも、延べで高校生40名ほどの来場がありました。

 

今回は、前日も担当した4年生女子1名と3年生女子1名が総合歴史学科の特徴と魅力について全般的な説明をし、つづいて2年生女子3名が授業、余暇の過ごし方、バイト、サークル活動など、それぞれの学生生活についてくわしく話してくれました。

渡邉将智講師(アジア史)のミニ講義『始皇帝の遺言 ~最新の出土文字資料より見る~』は、秦の始皇帝の遺言について伝える2つの記述を題材に、史料の扱い・解釈について論ずるものでした。司馬遷の『史記』では、始皇帝は長男・扶蘇を後継者に定める遺言をしましたが、その後の権力闘争で末子・胡亥が第2代の皇帝となり、長男・扶蘇は自殺に追いやられたことになっています。しかし、最近発見された前漢・武帝時代の出土文字資料『趙正書』(始皇帝の本名が趙正)では、始皇帝は最初から末子・胡亥を後継者に定める遺言をしたというのです。2つの記述にはそれぞれ別系統の説話(伝承)が保存されているわけで、司馬遷は自分が正しいと思ったほうの説話を採用して『史記』に記したと考えられます。従来は『史記』の記述が通説となっていましたが、『趙正書』の発見によって新たな説が可能となったのです。

本日も、ミニ講義の終了後、来場の高校生と在学生・学科教員との楽しい交流の輪が広がりました。

 

 

第3回オープンキャンパス【1日目】:2016年7月16日(土)

 

2016年7月16日(土)のオープンキャンパスは、延べで高校生40名ほどの来場がありました。

 

学科長のごあいさつに続いて、学科紹介の経験豊富な4年生女子1名が総合歴史学科の特徴と魅力について全般的な説明をし、つづいて3年生女子2名がそれぞれ自分自身の学生生活についてくわしく話してくれました。

賈鐘壽教授(歴史遺産)のミニ講義『岡山県における文化財の活用 -世界文化遺産への登録を目指して-』では、江戸時代の250年間継続して「日韓善隣友好」の歴史を築いた朝鮮通信使は、世界に類例がない貴重な文化交流であることを指摘し、朝鮮通信使に関連した岡山県内の史跡や行事を紹介、こうした朝鮮通信使関連の史跡と行事を世界遺産に登録しようという日韓の活動についてお伝えしました。

ミニ講義の終了後、来場の高校生と在学生・学科教員との楽しい交流の輪が広がりました。

 

 

第2回オープンキャンパス:2016年6月19日(日)

 

2016年6月19日(日)ことし2回目のオープンキャンパスが開催されました。総合歴史学科には延べで高校生60名以上、ご家族を含めると75名ほどの来場がありました。たくさんのご来場をいただき、ありがとうございました。

 

当日は学科長のごあいさつに続き、恒例の在校生による学科紹介をおこない、今回は3年生女子2名が自身の学生生活の話題を中心に、総合歴史学科の特徴と魅力を説明してくれました。

吉本勇教授(歴史遺産担当)によるミニ講義「金沢の都市景観」は、北陸新幹線の開通で一段と人気が高まった金沢について、観光都市としての存在と北陸3県の中心的な消費都市としての存在の両面から考察したものでした。

今回も、来場の高校生と在学生・学科教員との楽しい交流の輪が広がりました。

第1回オープンキャンパス:2016年3月12日(土)

 

2016年3月12日(土)午後1時から2時30分まで、ことし最初のオープンキャンパスを開催しました。総合歴史学科では、同伴のご家族を含め、延べ40名が来場されました。

 

学科長のごあいさつに続いて、恒例の学科生による学科紹介、今回は3年生2名が自身の学生生活を中心に明快な説明をしてくれました。

櫻田美津夫教授(ヨーロッパ・アメリカ史担当)によるミニ講義「真理は時の娘」は、イギリスで長年悪逆な王とされてきたリチャード3世(在位1483~1485年)が、推理小説での扱いがきっかけとなって再評価された事情をお伝えしたものです。リチャード3世は兄エドワード4世(在位1461~1470、1471~1483年)の死後、兄の幼い息子ふたりを幽閉して王位を奪ったのは確かなことですが、1980年代以降リチャード3世に関する研究が深められ、現在では政治家・軍事指揮者としてたいへん有能であったと再評価されているのです。

その後、来場の高校生と在学生・学科教員との楽しい交流の輪が広がりました。

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