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地域支援・社会貢献

放射能スクリーニングのボランティア

2011-07-11

就実大学は文部科学省の依頼により,住民一時帰宅に係る被ばくスクリーニングのサポートのため福島県へ4名の教員を派遣いたしました。以下にボランティアの活動レポートを掲載いたします。

 

概要

東日本の地震および津波により福島原発が損壊し,広範な地域が放射能で汚染された。原発から20 km以内は警戒区域に指定され,住民は避難を余儀なくされた。
福島県災害対策本部と国の原子力災害対策本部は避難者の一時帰宅を計画し,多方面に支援を要請した。それをうけ,文部科学省は国公私立大学宛に,避難者の 一時帰宅時に伴う放射能スクリーニングに関わるボランティアを1日約30人派遣するよう依頼した。一時帰宅は6月(26日間),7月(19日間),8月 (13日間),さらに9月にも実施されているが,就実大学では第1陣(7月13~18日,薬学部より須藤鎮世,江川孝)および第2陣(7月21~26日, 教育学部教育心理学科より森宏樹,薬学部より阿蘓寛明)をボランティアとして派遣した。ボランティア活動に要する器具・器材,旅費,宿泊費等は全て自前である。

 

実施場所

一時帰宅者が集まり,スクリーニングを受ける中継基地として,警戒区域のすぐ外側の馬事公苑(南相馬市),古道体育館(田村市),川内体育館(双葉郡川 内村),広野中央体育館(双葉郡広野町)の4カ所が設営された。このうち,第1陣は馬事公苑で,第2陣は川内体育館および広野中央体育館で任務にあたった。

 

 

 

一時帰宅の実作業

任務は以下の様であった。ボランティア達は前日のミーティングで実施要領の概略の説明をうけた。翌朝現場に行くと,一時帰宅者達が説明をうけていた。説明のあと,汚染防御のための着衣をした(図1)。帰宅者は家の中の物を小型のトレイ一杯分だけ持ち帰ることが許された。小型バスに乗り,各自宅に帰還した。この間,ボランティア達は実施要領の説明を受けた。帰宅者が戻る少し前に準備を整えて待った。

 

図1. 一時帰宅の準備 図2. 一時帰宅者の汚染検査

 

 

帰宅者を乗せたバスが入り口に横付けになると,荷物運搬係を従えて,一人ずつ係りに案内され,受付けに寄る。ここで事前に記した調査票を受け取り,係の指示で6カ所あるスクリーニングブースのいずれかに案内される。大学人ボランティアは主に第5あるいは第6ブースで任務にあたった。1ブースあたり6名が配属されたが,10分交替で5名が任務に就いた。外気温35-6℃のときに冷暖房なしで,帽子,マスク,外衣,靴カバー,手袋などを装着しての作業なので,休憩をする必要があった。帰宅者がブースに案内されてくると,椅子に座り,1人が靴カバーを脱ぎとる(老人も多く,手助けが必要)。2人が荷物の汚染検査にあたり,他の2人は帰還者の汚染検査にあたる(図2,3)。特に汚染がなければその旨を調査票に記載する。検査の済んだ帰宅者は荷物運搬係を従えて,5カ所ある脱衣コーナーのいずれかに案内され,コーナーあたり5人いる係に脱衣してもらう。そのあと首から下げた線量計を線量デスクに返却するとともに,あびた線量を記載してもらう。クロークに立寄り,自分の持ち物を受け取り,荷物運搬係を従えて,自家用車等に戻り,それぞれの避難場所に帰って行く。

 

 

図 3. バスの内装 (左)と添乗員の服装 (右)

 

 

実働の状況

帰宅者の数は第1陣が任務にあたった馬事公苑では7月14(木),15(金)が各約250名(小型バス各16台),17(土),18(日)が各約450名(小型バス各24台,2回に分けて実施)であった。各バスには5名ずつ添乗員が乗るので,4日間で合計1800人以上の人達の汚染検査を36名でしたことになる。この他,荷物運搬係15名,受け付け誘導係り21名,退出誘導係り6名,バス説明係6名,各部署の責任者,バス添乗員80名,自衛隊員,その他を加えると,1中継基地だけで1日に200名程度の人達が活動したことになる。

 

 

最後に

放射線は目に見えず,また暴露した身体への影響は多様であるため,対応には非常に神経を使います。被災された住民の方々のご苦労はお察しするに余りある程でありますが,一日も早い復興を心よりお祈りしております。またスクリーニングのサポートにあたっておられます方々のご無事とご活躍をお祈りしております。