就実大学 人文科学部 総合歴史学科

2026.01.28 

岡山市北区御津金川でフィールドワークを行いました。

授業・課外研修など

 「総合歴史演習1」の授業では、江戸時代のある地域の古文書を読み取りながら、史料読解力を身につけ、地域の歴史的な展開を考えることを目的にしています。人文科学部が岡山市立御津公民館と連携協定を結んでいることもあり、2021年度から金川(岡山市北区御津金川)を対象地域に選んでいます。江戸時代の金川は、岡山藩の家老日置家が陣屋をおき、小城下町の様相を見せた場所です。

 授業では、中世の備前をとりまく状況や岡山藩成立以後の金川の様子についてごく簡単に学んだ後、元禄101697)年に作成された「金川古地図」の読み取りを丁寧に行いました。その上で、2025531日(土)に現地でのフィールドワークを実施しました。参加した学生たちは、古地図の街区が現在まで改変されながらも残っていることを学ぶとともに、史料に登場する「現地」を肌で感じることができたようです。これを機会に、学生自身がそれぞれにとって身近な地域に目を向けてくれるようになればと考えています。

  (文責:三田)

 参加した学生の感想文とフィールドワークの様子を掲載します。

                                

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【金川のフィールドワークを通して得た新たな発見】    

高島思羽

 

金川でのフィールドワークでは、講義で学んだことや地図を見比べて考えたことを確かめ、新たな発見を得ることができた。

古地図において武家地に相当するエリアでは、長屋門や御茶屋の石垣の一部と考えられるものなど、当時の名残を確認することができた。しかし、武家地全体として想像よりも十七世紀ごろの形は残っていないように感じた。武家地よりも、町人地に相当するエリアのほうが、当時の形を残しているように思った。町人地では、道の形や家の並び方など、古地図と近い形のものを見ることができた。裏町では、蔵の位置や水路の跡から、当時の家の正面が川に面していたことを知った。そのことから、船が流通の手段として利用されていた当時は、人々の生活にとって川が重要な役割を果たしていたことがわかった。

特に気になっていた武家地と町人地の境は、現地を見ても目に見える形では残っていなかった。しかし、住宅の地番を見ると、数字の並び方から境のようなものを確認することができた。地番から考える発想は全くなかったので、そのように細かな地図の情報からも発見が得られることを知り、衝撃を受けた。

七曲神社では、石造物に注目することで新たな発見があった。境内にある鳥居や灯籠の裏には、年月日と寄進した人の名前が見られる。また、拝殿の周りには寄進した人達の名前が書かれていた。寄進の記録から、どの地域の、どのような人々に信仰されていたかわかるというのは面白いと思った。石造物や寄進の記録を見ることは、神社の歴史を知るうえでも重要であると考えた。今後、寺社を訪れた際は、確認するようにしたい。

以上のように、現地を実際に訪れることで、地図を見るだけではわからなかった情報も得ることができた。その点にフィールドワークの面白さを感じた。また、今回の活動では、様々な情報の見つけ方を新しく知ることができ、多くの学びが得られた。 

 

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 【身近にある歴史】           

藤田咲喜

 

 このフィールドワークで、歴史は案外身近に存在するということに気づいた。本レポートでは見学の感想と、見学を通じて考えた地元のことについて述べる。

 金川は古地図と比べてみて、道幅は変わったところも多いが、思っていたよりも道の形がそのまま残っている箇所が多く驚いた。金川の小学校は2度移転し、1度目は墓地だったところに移転したと知った。昔なら墓があった場所は避けそうだと思ったが、特に気にしなかったのだろうか。

 そして、金川を歩く中で地元にも思いを馳せた。金川の町で見たものによく似た年季の入った白壁の建物が、自宅の近所にもあることを思い出したのである。それから数日、駅からの帰りにそのお宅の前を通る度に、歩きながら観察するようになった。私の住む地域は数年前に水害があったので、不躾だが建物がそのまま残っていることに驚いた。取り壊してもおかしくない、むしろ公費負担であるうちに取り壊した方が楽だと思ったからだ。実際この地域の家は、新しく建て直したか、もしくは取り壊して土地だけになったものがほとんどである。屋根をよく見ると、塀の瓦は長年現役のようで苔まみれだが、長屋門と隣の蔵であろう建物の瓦は綺麗で新しそうだった。住まわれている方は歴史ある建物を大事にされているのかもしれない。1人ではさすがに門を叩く勇気はないが、このお家の方にお話を伺ってみたいと思った。

 また家から駅までの道のりには、ほかにも背の高い石造りの仏像がある。意識して覗いてみると、水害の後は屋根すらないが大師堂であり、妙典を奉納したことを示す石碑や、森松院徳明禅定尼供□塔と書かれた石碑があることに気づいた。

 今までは「昔っぽい家だな」「仏像があるな」くらいにしか思っていなかったが、フィールドワークのおかげでこんな近所にも歴史の小さな痕跡があることに気づくことができた。 

 

 

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