2025.08.27
教員の活動
地理学から温泉地を見る―これまでの研究を振り返って―
総合歴史学科 講師
中山穂孝
私の専門分野は、人文地理学で、主に近現代の観光地形成について調査・研究を続けてきました。具体的には、近現代の大分県別府市や静岡県熱海市を対象に、地方政府や地元政財界人による都市開発、大都市の観光事業者による温泉資源の活用、中央政府による観光政策などがどのように影響して日本を代表する温泉観光都市が形成・発展してきたのかという視点から研究を進めています。
温泉観光都市の形成に興味を持ち始めたのは、生まれ育った千葉県から大分県別府市に転居してからだと思います。家族旅行でしか訪れたことのなかった温泉観光地に実際に住み始めると、単なる観光資源としかイメージしていなかった温泉資源が、別府市では、地元住民の日常生活にとても根付いていることに驚かされました。町内会が管理する公衆浴場(いわゆる「銭湯」)がそこかしこにあり、日常的に利用している地元住民が多いこと、温泉の地熱を活用した地獄蒸しがいまだに残っていること、まさに温泉資源とともに別府の人々は日常生活を送っていることに気づきました。このようないわば特殊な日常生活が送られている別府市という都市空間がどのように形成されてきたのか、一体どのようなプロセスを経て、日本を代表する温泉観光都市にまで成長できたのか、こうした漠然とした疑問を抱きながら、私は、都内の大学に進学し、人文地理学を専門的に学び始めました。
日本全国には大小あわせて数千の温泉地があります。その中でも、温泉観光業を基盤として市制施行を達成したのは、大分県別府市や静岡県熱海市、静岡県伊東市などに限られます。温泉地の研究を始めるにあたり、この中から日本最大の温泉湧出量を誇り、国内最大規模の温泉地をもつ大分県別府市を取り上げることにしました。近代以降の行政文書や地元紙、雑誌など幅広く資料の収集を進め、時には地域をよく知る関係者の方々から話を聞きながら、当時の別府が発展していく様子を解明しようと試みました。
近代以前の別府温泉は、主に近隣住民たちの湯治場として機能しており、農閑期には多くの農民たちが別府温泉の湯で日頃の農作業の疲れを癒していたと言われています。このように近代に入るまでは、地方の小さな湯治場であった別府温泉が、近代以降、急速に発展を遂げました。近代以降、大阪商船による瀬戸内海航路(大阪―別府)の拡充など都市部とのアクセス性の確保を目指した交通網の整備や別府や愛媛県、関西方面の政財界人による別府港建設、海岸埋立といった温泉観光地の基盤を形成するための都市開発を経て、日本を代表する温泉観光地として発展し、一九二四年に市制施行を果たしました。そして、この発展の裏には、亀の井旅館(現・亀の井ホテル)の創業者油屋熊八などの実業家たちの活躍もありました。油屋は、「別府観光の父」と呼ばれ、別府駅前に銅像が建てられているほどの近代別府の重要人物です。彼は、「旅人を懇ろにせよ」をスローガンに、観光客に対する様々なサービスを実践しました。中でも、女性バスガイドによる観光案内付き観光バスの運行は、彼が発案したと言われており、現在でも別府温泉の重要な観光資源である地獄めぐりの発展に貢献しただけではなく、その後の日本の観光産業にも大きな影響を及ぼしました。以上のように、近代の別府温泉は、様々な主体による交通・都市開発や新たな観光サービスの創出を経て、大温泉観光地に成長したのです。こうした多様な主体が、どのような意図をもって観光開発に参入し、別府の観光都市空間が形成されていったのかについて、今でも調査研究を継続しています。
(文責:中山)

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