2024.11.28
授業・課外研修など
2024年11月16日(土)、「実に就くプロジェクト(史跡マップ作成)」の準備のため、史跡散策のウォークラリーを開催しました。
午後1時、岡北大橋のちょうど真ん中に集合し、西側の橋下をくぐって、旭川西岸の堤防上の歩道を北上します。巨大な大黒天像で著名なラ・ムー(大黒天物産)を左手に見つつ、北側の御崎(おんざき)宮に到着しました。戦国時代までは対岸の中島にあったそうですが、宇喜多秀家の河川改修によって、こちらに移されたそうです。かつて出雲の日御碕(ひのみさき)神社から祭神を勧請したものと伝えられています。
北側を流れる流路は御野堰(みのぜき)から取水したもので、やがて市街地を流れる西川となります。次に、その流路沿いにある天計(あまはかり)神社に移動しました。4世紀後半に築造された神宮寺山古墳の頂上に位置する神社です。後世における古墳への信仰あるいは古墳の再利用を示す事例になります。古墳は前方後円墳で、全長は150メートルほど、備中の作山古墳と同時期の築造だそうです。
ここから流路沿いに南下します。天満屋岡北店で流路は西に曲がり、西川に近づいていきます。私たちはそのまま南下し、広瀬町の恵比須(えびす)宮に到着しました。北にあった四日市から移されたとも、鎌倉時代末期に確認される備前広瀬の市の守護神であるとも伝えられています。そこからまた南下し、同じ通り沿いの伊勢神社に至ります。天照大神・豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)の流浪伝承をもち、二神はかつてここに留まったことがあるそうです。
ここからすぐ南西の瑞雲寺に向かいます。実はここには小早川秀秋の墓所があり、彼が中納言の官職を受けていたことにちなみ、寺は黄門山の山号をもっています(黄門は中納言の中国風の言い方)。境内を見学していたところ、たまたまご住職が声をかけてくださり、本堂の内部を見せてくださいました。天井に描かれた豪壮な絵画や本尊下の巨大な青獅子像など、目を見はる寺宝の数々でした。
このあと、南の榎本神社で江戸時代の奉納石造物などを見学し、一旦は解散としました。残りの時間は大学周辺を自由に散策してもらい、史跡や珍しいオブジェを探し出してもらう時間となります。
これらの成果、特に撮影された写真は本年度も史跡マップのアイコンとして、学生に再構成してもらう予定です。なお、今回は参加人数が少なかったため、ほぼ同じ行程で、二回目の開催を予定しています。
(文責:苅米)



