就実大学 人文科学部 総合歴史学科

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2019.10.29 

2019年度 考古学クラブ・史学会主催 河西秀哉氏講演「象徴天皇制への道程―象徴天皇制からの転換」の記事を掲載しました。

講演会

 10月27日(日)史学会・考古学クラブ共催の歴史講演会が開催されました。

 2019年10月27日(日)史学会・考古学クラブ共催の歴史講演会が開催されました。講師は近代天皇制の研究で著名な河西秀哉先生(名古屋大学)、演題は「象徴天皇制への道程ー象徴天皇制からの転換」でした。前天皇退位、即位礼正殿の儀など、まだ記憶に新しい事象と関係深い内容で、学外からも多くの方々が聴講に駆け付けてくださいました。

 冒頭に、象徴天皇制の起源が実は大正時代にあること、それは「天皇としての政治決定力が危ぶまれた」大正天皇の登場により、内閣・議会・官僚らが天皇制自体を守るべく「政治の中核には携わらない、象徴としての天皇」という制度を考案した結果であることが説かれました。

 しかし、「象徴」のことばは曖昧であり、昭和天皇から現上皇(明仁)に至る長い期間、天皇自身によって「象徴」の意味が模索されることになります。それを特に意識したのが現上皇であり、その結婚から子育てに至るまで、マスコミの注目を浴び、またそれを意識することによって、自身の立ち位置を模索していきます。

 特に「象徴としての地位にもとづく公的行為」の件数は、昭和天皇に比して目を見はるものがあり、80歳を越えてからの行幸啓は50代のそれをはるかにしのぐといいます。行幸先は、戦争の舞台となった沖縄や東南アジア、さまざまな災害の被災地であり、「弱い立場にある人々、見捨てられ忘れ去られようとしている人々」への慈愛を率先して実践したものと評価されます。特に興味深いのは美智子上皇后の存在であり、行幸先における行動は、むしろ上皇后の主導によるものが多いのではないかとの推測が披露さました。
 こうして現在、国民の意識調査においては「天皇を尊敬する」「天皇に好感を抱く」人々の割合が7割強に及び、それは史上最高の評価になっていることが強調されました。

  講演終了後には質疑応答の時間が設けられ、「現天皇と皇后との関係で、公的行為の内容が変わっていくことはあるか」、「GHQによって天皇制が完全に抹殺されていたとしたら、その後の日本はどうなったのか」、「天皇の内奥から生まれてくる行動と、外的規制による行動は、戦前前後を通じてどのように変化したのか」など真摯な発言が相次ぎました。これらに対し、河西先生も熱心に対応され、熱い雰囲気を残して講演会は終了となりました。
(文責:苅米)

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