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コラム 授業のひとこま 第13回 「光源氏は実在する」という話

2023-02-10

第13回 「光源氏は実在する」という話 

苅米一志(人文科学研究科長・人文科学部教授 日本中世史)

上に挙げたタイトルは、誤解を招きやすいかも知れません。『源氏物語』の主人公「光源氏」は、作中では「光る君」と呼ばれており、これは通称のようなものであって、実際に「源光」という名前ではなかったという前提があります。

一方、「源光」という人物は実在します。仁明天皇の皇子であり、他の兄弟とともに源の姓を受け、臣籍にくだった人物です。藤原時平とともに、菅原道真を失脚させた人物としても知られています。最終的には正二位右大臣となり、通称を西三条右大臣といいました。延喜13年(913)3月、鷹狩りに出かけたところ、泥沼にはまって遺体もあがらないという最期を遂げます。当時としては、これも菅原道真の怨霊のしわざと考えられたようです。天皇の子息であり、源姓を受けたという点で、光源氏のモデルの一人とも言われています。

ところで、それから四百年ほどたって、にわかにこの人物がクローズ・アップされてきます。14世紀初頭、おそらく浄土宗の開祖・法然の百回忌にのぞんで、その伝記絵巻である『法然上人行状絵図』が制作されるのですが、そこでは法然の先祖がこの源光であるというのです。『法然上人行状絵図』巻1では、次のように記されます。

・源光の子孫の源年(みのる)が、宮中で蔵人を殺害した罪により、美作国に流罪となった。
・地元の武士である漆(うるま。漆間とも)元国が、この源年を婿として迎え、生まれた子どもに家督を継がせた。
・元国の四代のちの子孫が時国であり、これが法然の父親にあたる。

地方にくだった高貴な人物が、地元の武士団に受け入れられるというのは、当時としてもよくあることでした。ただ、一般的な僧侶の伝記では、せいぜい父母の出自が記されるのみであり、父親の家系を10世紀までさかのぼるのは、異様とも言えます。これには何か、意味があるのでしょうか。

どうやら、源光の家系にその理由があるようです。この家系からは、のちの多田源氏や渡辺党などの武士団が出ています。法然が、高貴な武士団の血統をついでいることを強調したかったのでしょう。さらに源光の甥には、六波羅蜜寺の空也上人がおり、念仏信仰という点で空也と法然を結びつけようとしているのかも知れません。実際に源光の血を受け継いでいるかどうかは別として、『法然上人行状絵図』の作者は、武士団と念仏信仰という面で、法然に一種の権威付けを試みたのでしょう。

ところで、法然の父親の漆時国は源氏の血を継いでいることを誇り、現地の有力者(稲岡荘という荘園の預所)である「明石源内武者定明」という人物の命令を聞かず、そのために恨まれて夜襲を受け、命を落とすことになります。臨終の際の「決して復讐を考えず、自分の菩提を弔うために出家せよ」という父の遺言により、法然が出家を志したとされています。明石源内武者定明も実在の人物で、おそらく鳥羽上皇に仕えた滝口の武士であったと考えられます。鳥羽上皇の私的な武力を担ったのは平忠盛(清盛の父)ですが、忠盛はこの当時の美作国司であり、定明はおそらくその下で荘園の役人の職を得ていたのでしょう。

少し視野を広げてみると、漆時国と明石源内武者定明の対立は、仁明天皇の血を引く源氏(仁明源氏)と伊勢平氏との対立であることになります。このことは、読者に対し、のちの保元・平治の乱や治承・寿永の乱(源平合戦)を連想させる働きがあると言えないでしょうか。ちなみに、『法然上人行状絵図』では法然の誕生の際に、空から二本の白幡(はた)が降ったとされていますが、白色は源氏の旗色でもあります。法然が父親の復讐を考えず出家したということは、彼が武士団どうしの対立・抗争を超克する、いわば平和をもたらす存在として期待されたことを示すのかも知れません。それを導くために、源光という人物が作者によって意図的に拾い出され、のちの武士団どうしの対立の伏線として利用されたのではないでしょうか。

参考文献
伊藤唯真「法然と専修念仏」(『岡山県史』4、中世Ⅰ、1989年)
苅米一志「『法然上人行状絵図』巻一における神話的構造」(『就実大学史学論集』31、2016年)
田村圓澄『法然上人傳の研究』(法蔵館、1972年)
中井真孝『絵伝にみる法然上人の生涯』(法蔵館、2011年)
水野恭一郎「美作誕生寺の歴史」(同『武家社会の歴史像』国書刊行会、1983年、初出1972年)
湊哲夫「久米押領使漆間時国について」(『津山郷土博物館 博物館だより』16、1996年)
同「久米押領使漆間時国について」(『岡山地方史研究』100、2003年)
吉田清「法然上人の生誕地について」(伊藤唯真編『日本仏教の形成と展開』法蔵館、2002年)