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総合歴史学科講演会

2022年度 史学会主催・公開学術講演会(戸川貴行氏「中国古代の音楽と政治」)の記事を掲載しました。

2022-11-25

 20221112日(土)1330分より令和4年度公開学術講演会(主催:就実大学史学会)を開催しました。講師は戸川貴行先生(お茶の水女子大学人文科学系准教授)で、演題は「中国古代の音楽と政治」でした。

 中国古代では「三分損益法」という方法を用いて、現在の「ドレミファソラシ」と同様の音階を算出していました。今回のご講演は「三分損益法」の解説から始まり、中国王朝が天や祖先を祀る儀礼で使用した編鐘・編磐などの楽器を紹介いただきました。これらの楽器によって奏でられる儀礼音楽は、中国の皇帝が外交の際に周辺国の君主に下賜するなど、政治の場で利用されてきました。たとえば、北宋(9601127)の皇帝が遼(10世紀初~1125)に対抗するために、朝鮮半島の高麗(9181392)の王に音楽を下賜した事例などを挙げることができます。ただし、中国の皇帝は編鐘・編磐などの楽器を東西南北に配置して音楽を奏でたのに対して、周辺国の君主は楽器を南の方角には並べませんでした。一説には、中国の皇帝が南向きに着座するため南の方角には楽器を配置しなかった、ともいわれていますが、こうした差異は中国の皇帝が周辺国の君主よりも立場が上であることを示すものでした。

 中国の儀礼音楽は遣唐使を通じて日本にも伝えられました。ご講演では、安史の乱(755763)が日本への伝来の重要なきっかけであったことを指摘されました。唐(618907)が都の長安を安禄山の率いる反乱軍に奪われると、皇帝に仕えていた楽人の多くが揚州に逃れました。揚州は長江の下流に位置する都市で、中国の東南地域の物資を長安に水路で輸送するための拠点でした。楽人たちは経済都市として栄えていた揚州に移住し、皇帝に代わる新たなパトロンを求めました。

 当時、遣唐使は揚州を通過して長安に向かう場合がありました。しかし、唐は長安での接待費を節約するために、遣唐使の一部を揚州に留めました。このような遣唐使たちが揚州で楽人と出会い、楽器の演奏方法や舞楽を学んだといいます。こうして儀礼音楽に用いる楽器や舞楽が日本にもたらされたわけです。ご講演では、岡山県にゆかりのある吉備真備が遣唐使として唐に渡った際に、『楽書要録』(唐代の音楽理論書)を日本に持ち帰ったことも紹介されました。

 日本では、中国から伝来した「蘭陵王」などの舞楽を「左方唐楽」といい、朝鮮半島から伝わった「納曽利」などの舞楽を「右方高麗楽」と呼びました。これらの舞楽は、武家政権の成立にともない地方にも広がり、平氏が信仰した厳島神社(広島県廿日市市)、源氏が建立した鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)、徳川氏が江戸城内に設けた紅葉山東照宮(現在の東京都千代田区)などで上演されました。明治政府は雅楽局を設置し、紅葉山東照宮や近畿地方で活動していた楽人を東京に集めました。現在でも宮内庁楽部と明治神宮で「左方唐楽」と「右方高麗楽」が定期的に上演されています。ご講演の最後には「蘭陵王」・「納曽利」の映像上映され、中国古代の音楽が現代日本に受け継がれている様子を感じ取ることができました。

 質疑応答では、来場者から専門的な質問が多く寄せられ、戸川先生にはひとつひとつに丁寧にお答えいただきました。講演終了後も来場者と講師の間で活発な議論が続き、活気に満ちた講演会となりました。

 当日は在学生・教職員のみならず、学外の皆様に多数ご出席いただきました。とくに今回の参加者には総合歴史学科の卒業生たちがおりました。卒業後も歴史学への関心を持ち続けている様子をうかがい、学科教員として非常にうれしく感じました。来年度以降も学術講演会に継続して参加されるよう願っています。

 最後になりましたが、講演者の戸川貴行先生にあらためてお礼を申し上げます。最新の知見に基づく非常に興味深いご講演をいただき、ありがとう御座いました。

(文責:渡邉)

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