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吉備地方文化研究所研究活動

コラム 研究のひとこま 第1回「犀の角」の話

2021-12-21

コラム 研究のひとこま

 

 吉備地方文化研究所では、複数の研究課題を併行して進めています。このコラムでは、過去および現在進行中の研究成果から、いくつか興味深い話題を紹介していこうと思います。

 

 

 

 

 

 

第1回 「犀の角」の話 苅米一志(研究所長・人文科学部総合歴史学科教授)

※写真は、下記の二冊の刊行物。

 

 研究所では、2013年に『備前国西大寺縁起絵巻』(川崎剛志・土井通弘・苅米一志編)、2017年に『備前西大寺文書』(苅米一志解説)を刊行しました。

 会陽(裸祭り)で知られる西大寺観音院につたわった資料ですが、全国的に見ても非常にすぐれた文物を紹介できたと思います。

 

 縁起絵巻は、戦国時代のものが一点、江戸時代のものが複数点、現存していますが、それに先だって文章だけの縁起も成立していました。

 ひとつは永享12年(1440)のもの、もうひとつは明応5年(1496)のもので、後者は京都の建仁寺大昌院や南禅寺の住職をつとめた天隠龍澤が記したものです。

 正式には「勧進状」といい、直前の火災によってうしなわれた伽藍を復興するため、人々に寄付をよびかけた文書になります。

 

 この縁起には、不思議な記述があります。

 

 紀伊国(和歌山県)から安隆という僧侶が、吉井川河口の観音堂にやって来た時、竜王から「犀角」をもらったというのです。僧侶はこれを、観音堂の境内に埋めました。

 竜王から「犀の角を戴(いただ)いた」ので、この観音堂を「犀戴寺(さいたいじ)」とよび、のちにこれが「西大寺」になったといいます。

 寺名の由来は一種のことば遊びでしょうが、興味深いことに「犀の角」とつたえられるものが、現在も西大寺観音院の宝物として残されています。

 

 ところで、「竜王から犀の角をもらった」とは、どういうことなのでしょうか。

 縁起の前後には何の説明もなく、これがどういう意味であるかは、しばらくわかりませんでした。

 

 数ヶ月後、たまたま『今昔物語集』巻16第15(仕観音人行龍宮得富語)を読んでいた時、興味深い記述に目をうばわれました。

 日ごろから観音を信仰する男が、京都山科のあたりへ寺院参詣に出かけた際、小蛇を持って歩く老人に出会います。

 男が「その小蛇をどうするのか」とたずねると、老人は「如意という仏具をつくるのに牛の角を使うのだが、それを変形・加工するのには、蛇の体から出る油を塗るのが良いのだ」と答えます。

 男は小蛇をあわれに思って、老人から小蛇を買いとり、池に放ってやります。

 いくほどもせず、男の目の前には少女が現れて、助けてくれたお礼を述べ、自分の家に男をまねく・・・のですが、ここから先はおわかりでしょう。

 実はこの話は、のちの浦島太郎の原型のひとつなのでした。

 

 やがて男は、池をとおって竜宮にまねかれ、少女の父親である竜王から歓待をうけます。別れぎわ、竜王は「如意宝珠」という玉を男にあたえようとするのですが、「日本国の人の心は、まだ善良になりきっていないから、あたえるのは危険だ」と思いとどまり、かわりに黄金の塊をあたえることにします。

 ここでようやく、謎が解けたように思いました。

 

 最初に出てきた「如意」というのは、もとは孫の手だったようですが、やがて文鎮、あるいは説教をする際に僧侶が手に持つ道具になります。

 牛などの獣角を材料とし、最高級品は「犀の角」からつくるもので、正倉院の宝物にも見られます。

 そして、この「如意」ということばが、のちの「如意宝珠」の伏線になっているのです。

 この話は、全体として<観音~小蛇~如意~池(水)~竜宮・竜王~如意宝珠>というように、一種の連想によって進行していきます。

 

 こう考えると、「竜王から犀の角をもらった」ということは、「如意宝珠をもらった」ことの比喩(暗喩)であることがわかります。

 如意宝珠は、観音の部下でもある竜王が、水を自在にあやつるための道具で、実際には「干珠」と「満珠」のふたつがあります。干珠を投げると大雨や洪水が止まり、満珠を投げると雨が降ったり、川の水が増したりするといいます。

 どうやら、吉井川の河口にあった西大寺は、古くから洪水に悩まされていたらしく、竜王が如意宝珠をあたえたのは、そうした水害から寺を守ることの表現なのでしょう。

 先の説話と同じく、ここでも観音・水・竜王・獣角・如意宝珠という連想が見られるわけです。

 面白いことに、犀の角とは別に「如意宝珠」といわれる玉もまた、西大寺観音院につたわっています。

 

 ちなみに、『今昔物語集』では、小蛇を正体とする少女が「弟子(乙子。おとご。末っ子)」とよばれています。これがのちの「乙姫」でしょう。

 そして、竜王の如意宝珠は箱に収められており、これがのちの「珠手箱(玉手箱)」になるわけです。

 

参考  苅米一志「備前西大寺の古層」『日本歴史』746号、2010年

    同「明応五年備前国金岡県西大寺化縁疏并序の成立」『年報赤松氏研究』3号、2010年