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表現文化学科講演会・集中講義等

令和元年度 表現文化学会総会・公開学術講演会が開催されました。

2019-11-05

 2019年11月2日(土)に、令和元年度 表現文化学会総会・公開学術講演会が開催されました。当日の内容について、本学科の松尾直昭教授に寄稿していただきました。

 11月2日土曜日、本学R601にて、2019年度表現文化学会学術講演会が開催された。今回は詩人、吉増剛造氏と翻訳家、山本光久氏の対談であった。吉増氏は1939年生れ。63年に「三田文学」から分離した詩誌「ドラムカン」創刊に参加し、翌年第一詩集『出発』(新芸術社)を発表し、以来、50年以上現代詩の可能性を開拓し、詩壇を刺激し続けている。詩集は、第2回現代詩花椿賞受賞作『オシリス、石ノ神』、詩歌文学館賞受賞作『螺旋歌』、写真と詩が融合した、第50回毎日芸術賞受賞作品『表紙omote-gami』など多数。また『生涯は夢の中径―折口信夫と歩行』など評論も多数ある。朗唱パフォーマーとしての活動も活発で、その舞台の躍動感は海外での評価も高い。表現を映像面にも求め、「gozo-ciné」と称される作品群があり、文字を刻む銅板制作風景の映像化など、「言葉が枯れた」本源から詩が誕生する光景の表出の場を全ての感覚野に求めている。氏の際立った活動にたいして、2003年紫綬褒章受章、2013年旭日小綬章受章、文化功労者への選出、など功績が認められた。2013年には倉敷での浦上玉堂シンポジュームに参加し、「玉堂ciné」の制作など、当地と密着した活動もある。2015年日本藝術院賞、恩賜賞受賞。2016年に東京国立近代美術館にて「声ノマ 全身詩人、吉増剛造」展、2017年から2018年に、足利市立美術館、沖縄県立博物館・美術館、「涯テノ詩聲 詩人吉増剛造展」が開催された。

 山本光久氏は、1950年生れ、「日本読書新聞」、「図書新聞」、「現代詩手帖」の各編集長を経て、2003年就実大学表現文化学科表現創造コースの言語創作分野の中心的担当者として着任し、表現文化学科の振興に多大の貢献を残した。2016年に定年退官したが、在職中、芸術家・文化人との豊かな人脈から学術講演講師として、「劇団唐組」主催者で『佐川君からの手紙』(芥川賞受賞)の作家、唐十郎氏、『岸辺のアルバム』『ふぞろいの林檎たち』の演出家、鴨下信一氏、詩集『ふ』で第31回H氏賞受賞、『高円寺純情商店街』で直木賞を受賞したねじめ正一氏、『ラニーニャ』(第21回野間文芸新人賞受賞)、『河原海草』(第36回高見順賞受賞)の作家、伊藤比呂美氏の登壇を得た。また、氏の専門であるフランス現代思想の翻訳書も多数であり、1999年ロジェ・ラポルト『プルースト/バタイユ/ブランショ―十字路のエクリチュール』(水声社)。ジダンの自伝、『ジダン―勝利への意思表示』(ザマサダ2000)、フィリップ・ドレリム『しあわせの森をさがして』(廣済堂出版2002)、2003年プルードン『一革命家の告白―二月革命史のために』(作品社)、フランソワ・ジェレ『地図で読む世界現代戦争事典』(河出書房新社)、2007年ロジェ・ラポルト『探求―思考の臨界点へ』(新宿書房)などを、訳出している。中でも、ロジェ・ラポルト『探求―思考の臨界点へ』について、林浩平氏は、モーリス・ブランショの「唯一の弟子」としてラポルトの存在は知ってはいたが、山本氏の訳出によってはじめて、発言の内容にふれることが出来た、と高い評価を与えている。

 さて、講演は聴衆を異次元に誘う誘惑に満ちていた。殊に、吉増氏の冒頭のパフォーマンスである。客席は暗転し、ライトが唯一あたる舞台には、薄く延ばした銅板が敷かれ、その上に巻物が広げてある。それは、氏が敬愛する吉本隆明の詩をカタカナで書写したものだ。さらに、巻物のところどころに様々な芸術家の文章を書写した、紙が貼付され、沈んだ朱色、藍色、白色の絵の具がまき散らされている。周辺には、アジアの森林と嗅ぎまがう香がくゆっている。巻物の前に端然と座る吉増氏。右手には、化石採掘に使用する金槌。時折、その金槌で銅板を打ち、静寂を破る。口を白いマスクで覆い、眼を黒いマスクで覆い隠している。繰り返しの中で、退屈しながらも安心している我々の虚を否応なく衝いてくる怖さがある。「底なしの重ね写しの入れ子」になっている「コーラ」(場)にポロックのドリッピングが加わり、したたりの音。つまり、「言語の底にある表現」をさらに「破壊する表現」を聞き取ろうとしている。テキストの上に破壊するために重ねられたテキスト、惑乱を伴うパランプセスト(見セ消チ)。われわれ聴衆は、詩が誕生する場所に誘われたということである。やがて、舞台のスクリーンに、宮城県牡鹿半島と石巻市内で開催された、「リボーン・アートフェスティバル」での吉増氏の活動フイルムが映写され、シーンをたどりながら、吉増、山本両氏の対談が展開していった。吉増氏は、鮎川エリアの「詩人の家」活動を通して被災地の心の復興をはかり、滞在したホテルニューさか井《room キンカザン》のガラス窓に詩「巨魚」(いさな)を書き残した。映写されたものは、「巨魚」制作過程を映像化した「Mademoiselle  KINKAへ」であるらしい。ラポルテが『探求』でジャコメッティの芸術論にそくして、生成するものを芸術ととらえたとの山本氏の発言に対し、吉増氏はうなずき、「パウル・クレーの日記」にも、同様の指摘があり、「何よりも大事なのは、物事が生成していく、何かが生まれていく途上の方が大事なんだと言っている」と言葉を継いだ。最後に、自作の詩を朗唱し、会は終了した。地中深く突き刺さった刃物を渾身の力で抜き取ろうとする叫びのような朗唱だった。