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総合歴史学科講演会

2018年度 考古学クラブ・史学会主催 大川勝宏氏講演会「古代の皇女(ひめみこ)のみやこの解明―三重県史跡斎宮跡の発掘調査」の記事を掲載しました。

2018-10-28

日程:2018年10月28日

考古学部・総合歴史学科共催イベント   歴史講演会 

大川勝宏氏(斎宮歴史博物館 調査研究課長)

「古代の皇女(ひめみこ)のみやこの解明―三重県史跡斎宮跡の発掘調査―」

 20181028日(土)午後1時より、S101教室において上記の講演会が開催されました。講師は三重県下で30年近く発掘調査に携わってきた大川勝宏先生です。

 講演はまず、斎宮という聞き慣れないことばの説明から始められました。天皇家から伊勢神宮へ、いわゆる巫女の立場として派遣された未婚女性を斎院とよびますが、斎宮はその斎院が暮らし、かつ儀礼を行なう空間をさします。その地は、伊勢神宮の西に設定され、ここから斎院が伊勢の内宮・外宮に詣でることがありました。この斎宮跡については、すでに40年ほど発掘調査が継続して行なわれてきました。

 斎宮の起こりは7世紀後半の天武朝にあったこと、奈良時代における聖武天皇の政策がひとつの画期をなすこと、その時代にはまだ伊勢神宮と仏教が関係をもっていたこと、桓武天皇の時代に長岡京や平安京の整備と平行して斎宮にも条坊制が適用されたこと、などの重要かつ興味深い指摘がなされました。斎宮という空間は、あたかも内裏と朝堂院のような施設をもち、当時の伊勢にあっては一大都市の性格さえもつものでした。

 鎌倉時代には斎院の制度自体が存続困難となり、後醍醐天皇の時代にその制度は終焉を告げました。現在は斎宮にまつわる伝承もほとんど伝わらず、わずかに小字名などに往事の面影をしのぶだけであるといいます。しかし、これまでの発掘調査の成果から、盛時の斎宮の姿も明らかになっており、平安時代には非常に大規模な建物が軒を連ねていたこともわかってきています。今後も、文献史学と考古学の協業が期待されます。

 講演後に、質疑応答の時間が設けられ、宮城・都城としての斎宮の意義、神仏習合の考え方、現代に残る文化伝承などについて質疑がなされ、講演会は終了しました。

 (文責:学科長 苅米