【研究こぼれ話】松本潤一郎 教授:「自分は何も知らない」とは、数学における公理に類する対話の起点

公理とは、数学における証明を必要としない基礎的な命題を指す。公理を起点として、諸々の定理が発見される。公理はそれ以上先へ溯ることのできない端緒であり、公理に定められた事柄に従って、論証は進められる。公理から演繹される命題のみが証明可能であり、したがって定理として認められる。
公理という考え方は、紀元前四世紀から三世紀頃、ギリシアにおいて確立されたようである。それに先立つ約百年前、同じくギリシアのアテナイで、ソクラテスは哲学を実践していた。彼は何らかの主題について真理を探究する際、それを他者との対話を通して行ったとされる。街角で出会った見知らぬ人を呼び止め、主題を決めて議論をした。ソクラテスにとって、真理は誰にとっても妥当な、誰にでも理解できるものである。数学における定理の証明が、決して省略されず、誰にでも理解できるよう順を追って記述されるのと同じように、哲学においても真理を探究する過程を省略せず、全てを明示して、相手を納得させる必要がある。だから対話は重要なのだろう。他者に真理とそこへの理路を理解させるためにも、また、主題とは無関係な事柄が論証に紛れ込んでいないか、あるいは主題について対話者が偏見や先入観を抱いていないか、といった点を検証するためにも。
ソクラテスはつねに、「自分はその主題について何も知らない者である」として、対話に臨んでいたという。そして相手の説に耳を傾け、相手の主張を否定せず、厳密にそれに従ったうえで、相手の主張を敷衍するとどういう帰結が生じるかを示し、相手を納得させたと言われる。(これは数学においては「背理法」と呼ばれる証明の形式に該当すると思われる。)「自分は何も知らない」とは、数学における公理に類する対話の起点であるかもしれないと、私は考えている。この点について、もう少し検討を重ねていきたい。
