ニュース一覧

News

2017.06.07 

学科教員からのメッセージ

その他

中﨑崇 准教授

日本語学

 多くの学生にとって日本語は母語であり、何の問題もなく使うことができます。例えば、「お姉ちゃんが帰って来たら、すぐピアノの練習だ」と「お姉ちゃんは帰って来たら、すぐピアノの練習だ」の2つの文が違うことやどのように違うかは知っていると思います。しかし、どうして違うのかを説明しろと言われたらどうでしょうか。実は言語を使える、知っているということは、必ずしも言語が分かっているということを意味しないのです。日本語に関する知っているけど分からないことを、一緒に科学的に解明していきませんか。

松尾直昭 教授

日本文学

 最近、印象に残った学生の卒業研究は、村上春樹の『海辺のカフカ』論と、宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』分析でした。前者は、不可思議な展開をする村上ワールドに感性をシンクロさせて、暴力と許しという、パラドキシカルな関係を、少年の自己形成の重要な課題として読み解こうとしていました。非常に面白い視点です。後者は、宮沢賢治の奉仕の姿勢をグスゴーブドリの自己犠牲に関連づけて説明しようとしたもので、「農民芸術概論綱要」に根拠をもとめて傍証に努めていました。それぞれの学生の感性が、作家の特性と相性がよかったみたいです。作家との出会いがあったのでしょう。

 さて、大学進学を目指しているあなた方の若い感性は、どの作家に共鳴しているのでしょうか。その共鳴の内容をつかみ出して、表現してみませんか。お手伝いをしますよ。むろん、まだ出会っていない人にも、出会うための機会を提供しますよ。

 

中西裕 教授

教育工学・人文社会情報学

 いまやコンピュータは完全に表現ツールとしての地位を確立しました。そしてそれがネットワークと接続されることによってメディアとなります。コンピュータを駆使することで、文字、画像、音声、動画像を総合した表現が個人でもできるようになりました。表現に関わろうとするみなさんは、ぜひコンピュータの可能性にも触れてみてください。「たかが技術」などと馬鹿にしてはいけません。テクノロジーはみなさんの人生の可能性を広げる魔法です。

中西研究室ホームページ(学外)

岡本悦子 教授

舞踊教育

 洋画家でもあり随筆家でもある中川一政は『腹の虫』の中でこう述べています。

「教えられ、人から食物をもらうのは家畜だ。自ら原野に出て獲物をあさるに、時には命を賭けねばならぬ。独学は教わればわけのないことにもいちいち苦労しなければならぬ。しかし、いちいち苦労して得るものが身についてくる。」

 私は教えられるほどのものをもっていない。だから、ひたすら皆さんが獲物をあさるのに付き合います。一緒にあさって、私も得たいと思います。

川崎剛志 教授

学科長・日本文学

 他者の顔を直視していますか。自分の顔を他者にさらしていますか。表現とは人と人との間を行き来するものです。他者のことば(文学作品をも含めて)を記号として読み取る目とともに、その息づかいを聴き取る耳を持ちましょう。それが自分のことばを育てるための第一歩だと考えます。

松本潤一郎 准教授

近現代欧米圏哲学・思想・理論

 言葉には お金に似たところがあります かつて お金をなくそうと考えた人がいました お金には必要以上のものを招いてしまったり 逆に必要以下のものしかもらえない人をうみだす性質があるからです 言葉にも 一言多かったせいで傷つけてしまったり 言葉が足りなかったせいで誤解が生じたり といった事態が起きます それでは言葉をなくすことができるでしょうか 言葉にはべつの面もあります 預言という言葉があります たいせつなものを預かって のちに生まれる人に伝えてゆく言葉です 預金という言葉があるように 言葉には預かるという役目もあるわけです あなたの預言はなんでしょう 教えていただければ幸甚です

浅利尚民 准教授

日本美術史・日本文化史・博物館学

 博物館や美術館には、人間の営んできた文化的な活動によって育まれた文化財が所蔵されています。それらがどのように作られ、伝えられてきたのかを学ぶことは、古来からの人々の活動そのものを知ることになります。日本の文化や美術、博物館学を学びながら、モノが伝えられてきたことの意味を一緒に考えてみませんか。

小林敦子 准教授

日本文学(近現代)・思想史

 言葉というのは難しいものです。誤って伝わったり、予想を超えた動きをしたり、言葉に裏切られた思いをした人も多いでしょう。けれど言葉は必ず「ほんとうのこと」につながります。作家と呼ばれる人たちは、そのすべてを言葉の力に賭けたのです。皆さんは生きていく中で、弱った言葉に出会うことの方が多いかも知れません。しかし言葉に失望してはいけません。言葉を信じてください。言葉の本来の力を知り、その強さを受け止めること、それが現代の私たちには必要なのです。

岩田美穂 准教授

日本語史

 「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」誰でも一度は目にしたことのある『枕草子』の一節です。『枕草子』は平安時代の文献ですが、ここに書かれている言葉は、当時の平安京の貴族たち(女性)が実際に話していた言葉に非常に近いものだろうと言われています。つまり、『枕草子』の言葉は今の関西弁の御先祖さまのような存在です。現代で耳にする関西弁とは大きく違いますね。しかし全く違うかというとそうではなく、現代でも使われている言葉もあります。いつ現代語のように変わったのでしょうか?なぜ、変わったのでしょうか?あるいは変わらなかったのでしょうか?言葉の歴史は、不思議なことだらけです。目くるめく言葉の歴史―その深淵を一緒に楽しみましょう。

瓦井裕子 講師

日本文学(中古)

 みなさんには友達との間だけで通じることばがありますか?ごく普通のことばでも、友達との共通の体験を通じ、そのことばが仲間内だけで特別な意味を持つという経験をしたことがある人は多いでしょう。その特別な意味は辞書には載っていませんが、それを使う人の間では、辞書的な意味を超える威力を持つこともしばしばあります。

 古典も同じです。辞書には載らないけれども、作者の周辺だけで特別な意味を持っていることばが、古典にもたくさん存在しています。そのようなことばは、自力で一語一語と向かい合うことで初めて浮かびあがってきます。古典は解釈が決まっているものだと思わず、ことばと真剣に向き合うことで、一緒に作品に近づいていきませんか。

 

丸井貴史 講師

日本近世文学

 勉強をする上で大切なのは、常に「なぜ」と問うことです。「なぜ三角形の内角の和は180°なのか」「なぜgoの過去形がwentになるのか」……。その理由を知ったとき、勉強は格段に面白くなるはずです。文学作品も同様に、「なぜAはこのような行動をとったのか」「なぜこのような表現が用いられるのか」と考えることで、作品の本当の面白さに気づくことができます。ぜひ本学科での学びを通して、「なぜ」と問う習慣と、それを分析する方法を身につけてください。そうすれば、毎日がもう少し面白くなるかもしれません。

戻る