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総合歴史学科 教員の活動

【研究こぼれ話vol.006】特別編 地理の探索と探求

2021-03-03

地図を楽しむ


総合歴史学科 教授 

吉本 勇 

 

 初めての大学共通テストが本年1月に実施されました。その中の「地理B」の設問で、日本三景の一つ「天橋立」を四地点から撮影した写真のうち北側から撮ったものを選ぶ設問が出されました。テストの前週に放送されたNHKの「ブラタモリ」で北側から見た天橋立のエピソードが取り上げられたことで、番組を視聴した受験生からインターネット上で「役に立った」と感謝の声が上がったことが話題となりました。「ブラタモリ」はタレントのタモリさんが街を歩きながら土地の歴史や暮らしに迫る番組です。2022年度から必修化される高校「地理総合」も地図や地理情報を活用することを学びます。共通テストの設問は京都市在住の高校生が宮津市で地域調査を行ったという設定で、江戸時代と現在の地形図などを基に城下町だった宮津市中心部の適切な説明や丹後ちりめんを巡る近年の動向、場所によって見え方が異なる天橋立の撮影地点が問われたものです。

 この番組の制作チームは、多くの学会からも注目されています。2019年に開催された地球惑星科学(宇宙、大気、海洋、地質、生物など)の研究者、学生などが所属する「日本惑星科学連合」の大会では、『ブラタモリの探求 ―「つたわる科学」のつくり方―』のセッションが設けられ、番組を題材に「地球科学を分かりやすく説明するということはどのような営みか」を考えるテーマで議論されました。この番組の制作チームは多くの学会関連団体から表彰されています。私が所属する学会は番組の制作・放送により地理学の普及および発展に対する貢献が認められ「日本地理学会賞」、日本地質学会は「地質学の社会への貢献」、橋田文化財団は「街の新たな魅力や文化などを再発見するユニークな番組」の理由での表彰、他にも国土地理院の「測量の日 功労者感謝状」、地盤工学会は「地盤工学貢献賞」などです。

 都市地図や地形図などで地域の変化を追うことで、都市がどのような場所に成立し、どの方向にどのように町が拡大または中心市街地が移動したことを知ることができます。例えば城下町であれば、どのような場所に城が建てられ、その周りに武家地、職人町、寺社地などが計画的に配置されたかを知ることができます。明治以降には、城の周りに公共施設が集中している様子、鉄道駅は町はずれに立地したことがわかり、現在では駅を中心としたエリアに中心が移動した様子、駅裏で閑散としたエリアが、計画的に作られた道路によって整然とした場所に生まれ変わり、そのことで公共施設が移設、新設された様子。港町であれば市街地が港周辺から後背地に拡大し、海側には埋立地が造成されていく様子がわかります。地域の変化を想像するだけでも楽しむことができます。もちろん見るだけでなく、こうした要因を探る能力を身につけていくことが大切です。最近では災害への対応から、ハザードマップや過去の地形図を見て居住地の立地場所に関心をもつ人が増えています。このことは良いことです。

 地図を読むことだけでなく、気軽に入手でき、充実したスマホの地図アプリやカメラ機能を活用することも重要です。それらを利用して街へ出かけた際には人の流れや注目される場所の変化などの観察、街や店舗の盛衰を記録していくことで、時代の移り変わりを感じるようにアンテナを張り巡らせて街歩きを楽しんでもらえればと思います。街は常に変化しているから面白いです。タモリさんがテレビ番組を通じて「地理」を応援してくださることも喜んでいます。

 

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地理地名の探索

総合歴史学科准教授 

松崎 博子  

  

 近代日本初の本格的な地名事典として知られる『大日本地名辞書』(冨山房)は、在野の大学者と呼ばれた吉田東伍博士が生涯をかけてひとりで編纂しました。それから70年の歳月を経て『角川日本地名大辞典』と『日本歴史地名大系』(平凡社)が世に出ました。いずれも約50冊から成る大部の書で、高段書架一連に、それぞれちょうど収まります。出版のねらい、刊行時期、図書館に占める位置から分量まで同じです。けれども当然のことながら記載内容は異なりますので、探索の際は両方を見比べる必要があります。

 さて、昨年の春までは、月に一度は上京し、隔週で県内外へ出張していました。それが、午前中から深夜1時まで研究室で、自宅に戻ってからも明け方まで仕事をする毎日へと変わり、運動不足に陥りました。そこで冬の初めに牛窓へ、西大寺バスセンターから神崎、邑久郷、宿毛、千手(せんず)、鹿忍(かしの)、牛窓港まで歩いてみました。

 家に戻って、検索してみると牛窓は「平安時代には皇室領の鹿忍荘の一部」(Wikipedia)と書かれていました。疑問が生じ、コトバンクで検索してみても鹿忍荘の記載は見られず、Japan Knowledgeで検索してみれば、中世は鹿忍荘(東寺領)出典『国史大辞典』(吉川弘文館)とありました。

 後日、大学図書館へ足を運び、角川、平凡社の事典、『邑久郡誌』『牛窓町史』の頁を捲り目を通しました。

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