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表現文化学科 その他

学科教員からのメッセージ

2024-04-01

浅利尚民 教授

日本美術史・日本文化史・博物館学

 博物館や美術館には、人間の営んできた文化的な活動によって育まれた文化財が所蔵されています。それらがどのように作られ、伝えられてきたのかを学ぶことは、古来からの人々の活動そのものを知ることになります。日本の文化や美術、博物館学を学びながら、モノが伝えられてきたことの意味を一緒に考えてみませんか。

中西裕 教授

教育工学・人文社会情報学

 いまやコンピュータは完全に表現ツールとしての地位を確立しました。そしてそれがネットワークと接続されることによってメディアとなります。コンピュータを駆使することで、文字、画像、音声、動画像を総合した表現が個人でもできるようになりました。表現に関わろうとするみなさんは、ぜひコンピュータの可能性にも触れてみてください。「たかが技術」などと馬鹿にしてはいけません。テクノロジーはみなさんの人生の可能性を広げる魔法です。

中西研究室ホームページ(学外)

岡本悦子 教授

舞踊教育

 洋画家でもあり随筆家でもある中川一政は『腹の虫』の中でこう述べています。

「教えられ、人から食物をもらうのは家畜だ。自ら原野に出て獲物をあさるに、時には命を賭けねばならぬ。独学は教わればわけのないことにもいちいち苦労しなければならぬ。しかし、いちいち苦労して得るものが身についてくる。」

 私は教えられるほどのものをもっていない。だから、ひたすら皆さんが獲物をあさるのに付き合います。一緒にあさって、私も得たいと思います。

川崎剛志 教授

学科長・日本文学

 他者の顔を直視していますか。自分の顔を他者にさらしていますか。表現とは人と人との間を行き来するものです。他者のことば(文学作品をも含めて)を記号として読み取る目とともに、その息づかいを聴き取る耳を持ちましょう。それが自分のことばを育てるための第一歩だと考えます。

松本潤一郎 教授

近現代欧米圏哲学・思想・理論

 言葉には お金に似たところがあります かつて お金をなくそうと考えた人がいました お金には必要以上のものを招いてしまったり 逆に必要以下のものしかもらえない人をうみだす性質があるからです 言葉にも 一言多かったせいで傷つけてしまったり 言葉が足りなかったせいで誤解が生じたり といった事態が起きます それでは言葉をなくすことができるでしょうか 言葉にはべつの面もあります 預言という言葉があります たいせつなものを預かって のちに生まれる人に伝えてゆく言葉です 預金という言葉があるように 言葉には預かるという役目もあるわけです あなたの預言はなんでしょう 教えていただければ幸甚です

小林敦子 教授

日本文学(近現代)・思想史

 言葉というのは難しいものです。誤って伝わったり、予想を超えた動きをしたり、言葉に裏切られた思いをした人も多いでしょう。けれど言葉は必ず「ほんとうのこと」につながります。作家と呼ばれる人たちは、そのすべてを言葉の力に賭けたのです。皆さんは生きていく中で、弱った言葉に出会うことの方が多いかも知れません。しかし言葉に失望してはいけません。言葉を信じてください。言葉の本来の力を知り、その強さを受け止めること、それが現代の私たちには必要なのです。

岩田美穂 准教授

日本語史

 「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」誰でも一度は目にしたことのある『枕草子』の一節です。『枕草子』は平安時代の文献ですが、ここに書かれている言葉は、当時の平安京の貴族たち(女性)が実際に話していた言葉に非常に近いものだろうと言われています。つまり、『枕草子』の言葉は今の関西弁の御先祖さまのような存在です。現代で耳にする関西弁とは大きく違いますね。しかし全く違うかというとそうではなく、現代でも使われている言葉もあります。いつ現代語のように変わったのでしょうか?なぜ、変わったのでしょうか?あるいは変わらなかったのでしょうか?言葉の歴史は、不思議なことだらけです。目くるめく言葉の歴史―その深淵を一緒に楽しみましょう。

瓦井裕子 准教授

日本文学(中古)

 みなさんには友達との間だけで通じることばがありますか?ごく普通のことばでも、友達との共通の体験を通じ、そのことばが仲間内だけで特別な意味を持つという経験をしたことがある人は多いでしょう。その特別な意味は辞書には載っていませんが、それを使う人の間では、辞書的な意味を超える威力を持つこともしばしばあります。

 古典も同じです。辞書には載らないけれども、作者の周辺だけで特別な意味を持っていることばが、古典にもたくさん存在しています。そのようなことばは、自力で一語一語と向かい合うことで初めて浮かびあがってきます。古典は解釈が決まっているものだと思わず、ことばと真剣に向き合うことで、一緒に作品に近づいていきませんか。

 

坂堅太 准教授

日本文学(近現代)

 みなさんには好きな小説はありますか?その面白さを、友達に「正確に」伝えることはできますか?「何となく面白かった」では、価値観の異なる相手には伝わりません。小説の「どの部分」が、「どのような意味」で面白かったのか。そもそも、「面白い」とはどういうことか。これらを誰かに伝えることは、意外なほどに難しいものです。

 作品の一言一句をゆるがせにせず、丁寧に分析すること。そこから生まれる解釈を、論理的な言葉で説明すること。文学研究で身につくこうした力は、きっとみなさんの財産になるはずです。「何となく」の先にある光景をのぞいてみませんか?

鯨井綾希 講師 

日本語学・計量言語学

 明治・大正時代の研究者に、寺田寅彦という物理学者がいます。夏目漱石の『吾輩は猫である』に出てくる水島寒月のモデルとなった人です。彼は科学者でしたが、文学的な素養もあり、随筆家としても有名でした。ところで、日本では昔から文系と理系という区別があり、高校ではそれがクラス分けに利用されたりもします。しかし、寅彦を見れば分かるように、本来、文系と理系という区別は絶対ではありません。事実、文系に思える経済学や心理学では数理統計が駆使されますし、理系に思える数学や工学では時に美しさが議論されます。そして、どんな分野だろうと言葉による思考は必須です。言葉を考えることで、文系と理系の垣根を越えて人間の普遍性を追求できるようになると思っています。

竹内洪介 講師 

日本近世文学

1990年代に流行った歌に、「ことばは心を越えない」という歌詞があります(そのあと、「とても伝えたがるけど、心に勝てない」と続きます)。この歌詞の通り、ことばは「とても伝えたがる」ものです。そして、ことばは残っている限り、何百年、何千年も、思いを伝えようとしてきます。伝わる時代の幅を考えたとき、ことばは心を越えて生き続けていくのです。

古典は先人が思いの限りを尽くして残したことばです。先人のことばを受け止め、正確に読み解いて相手に伝える技量を培うことは、私たちがことばを使って生活し、そして何かを未来に伝えていくことにもつながっていくはずです。